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衆議院議選挙 [国政]

選挙の実施が決まった。

首相が専権事項である解散を発令した。

党首討論でいきなり言い出したのは、、どういう意図だったのか。

思いつきのパフォーマンスなのか。効果の程は選挙の結果で判明する。

昨夜、ある立候補予定者の船体準備会議に出席した。

民主党を離党し、今回その後離党した第三勢力の党に合流した。

離合集散が起こり、両手の指で不足するほどの政党が乱立する中、新しく後援会長になられた方は、

何党かはたいした問題ではない。候補者を当選させることが使命だと語った。

党で選ぶことは、投票判断が難しい。

今のこの国には、2大政党態勢はなじまないのか、といって連立政権態勢はどうかというと、

自公をのぞいては、長続きしなかった。

政界再編が叫ばれているが、止まるべきこの指が、明確でない。

あまりにも多様すぎている。

小異を捨てて大同につくと言った第三極の方がいたが、本来は、小異を超えてで、なければいけない。

超えるだけの議論を尽くしてないのではないか。

本質まで遡って、小異を超えるべきである。

好き嫌いや、利益不利益が判断の大きな要素になっている間は、真の政党は形成されないと思う。

やはり、政党ではなく、政治家個人を選ぶしかないだろう。

それなりの議員を正解に送ることは大事だが、今の政党政治が、その芽を潰さないで、あってほしい。

そして、そこで成長した議員により、本来の政党ができることを望みたい。





タグ:政党政治
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抗議デモ [政治活動]


カウントダウン 106です。

首相官邸前、抗議デモ

東京メトロの議事堂前駅は、改札口の内側から渋滞していた。

議事堂正面の出口に繋がる階段にぎっしり人々がすし詰め状態で前へ進んでいかないのである。
様々な意思表示掲示物を手にした老若男女がいた。

階段を登りつめ、地上に出ると議事堂前の通りは、集会と化していた。

時間は、定刻の15分前だったが、定刻が意味を成さなく、既に始まっていた。

「再稼動反対!」、『再稼動反対!』先導マイク、地声に合わせて絶え間ない心底の訴えが、響き渡っていた。

九条の会ののぼりや、平和団体の看板も見られた。首相を初め、いわゆる官邸4人組へ向けたプラカードもあった。

警官は、片側2車線を1車線にして、その1車線を確保するのに、群集に対し、事故防止を訴えていた。

19時半頃から、周りが暗くなるにつれ、群集が動き始めた。

首相官邸のほうに徐々に進みだした。

警官が体を張ったバリケードで阻止しようとしたが、所詮多勢に無勢で一部は崩れた。

その先は、大型車が陣取っていて官邸には近づけない。

一触即発の兆しが見え始めた頃、呼びかけ団体の女性がマイクで話し始めた。

「今日はこれで、終わりにします。これだけ多くの方が参加したことが、これからの運動に繋がります。今日で何かが即変わることはありません。
周りの人に、終わりを呼びかけてください。そして、毎週金曜日の集会を、持続していきましょう。そして全国で盛り上げましょう。」

内容は正確でないが、そのように私には、聞こえた。
周辺では、「何で盛り上がっているのに止めるんだ。」、「今日やらなくて、何時やるんだ」などの、気持ちの高ぶりに任せた声が上がった。

私は、その場を離れながら、「帰りましょう。長い戦いです。続けることが大切です。帰りましょう」と呼びかけて、議事堂前駅に向かった。時刻は、20時になっていた。

うねりが解散のほうに動き出していた。

新しい形の市民の示威行動が、芽生え始めている。

”民主主義は、永遠の革命である。”長い長い戦いである。

それにしても、議事堂の中での、民主主義の仕組みから選出された議員の体たらくはなんであろう。

任せてしまう仕組みが、市民の主体性を萎えさせているのか。

何とかしたいが、難しい問題である。

やっしかなかな!

地方から、足元から、目の届く場所から始めよう。

壮大な構想を掲げ、未来に向かって、地道に、着実に、手ごたえを感じながら、一歩ずつ。


WALK DON’T RUN!


市政に市民目線、感覚を!の 袖ケ浦市議 田中 てるひろ

監査委員の選任 [行政監査]

カウントダウン 109です。 昨日は、6月議会の最終日でした。 この日に、監査委員の選任の議決があるので、反対討論を準備して行ったが、人事案件は、採決のみ ということで、討論の場は、なかった。 市長より推挙された方の経歴のみしか、情報としてなかったので、事前に市長に面談を申し込み、 推挙の理由を伺った。 その結果、市長の話からは、実務経験重視が伺え、分権社会に向かっての新たな監査委員の あり方、今後の展望は、伺えなかった。 2006年に自治法が改正されて、外部監査の導入についても、道筋が示されたのだが、監査委員が独任制 ということで、既に外部監査ではないかとの話も出て、相容れないことを、認識した。 監査委員の選任の議案については、反対を表明したが、多勢に無勢で、賛成多数で採択された。 議員の多くが、監査委員というものを重要視していないのか、推挙された方のことを適任と思われて 判断したのだろう。 私は、その方を全く知らないので、推薦者の市長の推挙の理由を伺って、判断した。 4年間の任期の間、よほどのことがなければ、無難にやっていくだろう。 行政も、委員会も、従来のやり方で、皆が安泰となる。 その間、袖ケ浦市は、改革が遅れることになる。 一番被害を被るのは、結果として袖ケ浦市民である。





市政に市民目線、感覚を!の 袖ケ浦市議 田中 てるひろ

憲法記念日に考える [国政]

カウントダウン 164です。

きょうは、憲法記念日。

憲法といえば、9条ですかね。

憲法は、通常の法律や条例が、国民市民に対し、その権利を制限したり、義務を課したりするのに

比べ、為政者たる国や政府を制限するものと記憶している。

改めて、国、政府の現状をある事件から考えてみる。

一つは、防衛である.

先日あるテレビ番組で、沖縄の基地について討論があった。

何故基地が必要か。国側の立場の人は、自民党であれ民主党であれ、アジアの緊張の

増大を理由に、紛争戦争抑止力として、必要という。

基地住民側は、基地があるから巻き込まれるのだという。太平洋戦争でいやというほど、

味わった。

必要側は、抽象的な概念論でしかなく、反対側は、沖縄の歴史的事実からの体験論である。

日米安全保障条約が、有効に機能しているから、基地があるから、平和が保たれているという。

では何故、有効なはずなのに、北朝鮮のミサイルが飛んでくるのか、と反対側はいう。

疑問を感じた。

米は、本当に平和を願っているのだろうか。

脅威の対象としている中国に、米の兵器を大量に輸出している。

自らが、脅威のもとをつくっておいて、

脅威があるから、基地や軍事同盟が必要だというのは、おかしいのではないか。

資本主義というマネーゲームを前提としているので、軍需産業、兵器産業は容認して、

それを基にして、危機脅威をあおり、軍需防衛予算を執行し、ゲームを拡大している。

マネーゲームを根本に置いた、パワーゲームである。

軍事評論家の話は、ゲームソフトで遊んでいるゲーマーようだ。

それがお好きな方は、パソコンの中で十分におやりください。

国民の尊い生命・財産・人権に関わる政治の上では、止めてほしい。

もっと真剣に、話し合って、友好関係で、誰もが望んでいる平和構築へ努力して欲しい。

理想論では駄目だと、よくおっしゃる。歴史を見れば、戦争の繰り返しだ。人類の宿命だとも。

個人レベルでは、国を超えた、民族を超えた、宗教を超えた争いはないはずだ。

それが何故か、国という、宗教という良く分からないものの段階になると、対立が始まる。

国や宗教を守りたいために、そこで団結するために、仮想敵を作り上げているのではないか。

国がなければ、宗教がなければ人々は、安穏な生活が人生が送れないという幻想に惑わされていないか。

原点に返ろう。まずは、人間、個人ありきであった。国や宗教は一つの仕組み、手段であったはずである。

もう一つは、関越高速での貸切バス事故である。

今回の事故は、確かに運転手に非はある。職業上の義務を適切に遵守しなかったので、当然である。

バスの運行会社も、管理責任は免れない。

小泉改革以降、自由競争社会で推進してきた側(国・政府)の反省として、

セイフティーネットをしっかりと整備する必要があると、何度も聞かされてきた。

自由競争では、コストダウンが強く求められる。

どこまで自由を許すのか、当事者(旅行会社とバス運行会社)間では、立場上旅行会社が強い。

そこで、安全、安心、健康などを配慮して、一定のルール・指針をかけるのが、国・政府である。

ところが、国交省の定めたルールは、根拠が不明で、旅行業界の要望に沿ったのではないかとも

いわれている670km/日までは、1人乗務できるというものだった。

さらに、総務省の見直し勧告が2010年に出され、3回勉強会をして、そのままになっていた。

縦割り行政というか、責任感のなさ、いわゆる公務員体質そのものが露呈した事件である。

今回の真の加害者は、国交省安全政策課ではないか。県警は、ここを捜索すべきである。

政策課は「上限値も含めて見直しを議論していくことになる」とコメントしている。

当事者意識が全くない。

真の加害者は、責任は取らず、自覚さえせず、管理者として、今後も居続ける。

3.11で明らかになった政府の体質、未曾有の事故ということである面大目に見てきたが、

関係ないことが分かった。

彼等の本質なのである。

末期的症状ではないか。

以上二つのことから、憲法、国について、考えてみた。

市政に市民目線、感覚を!の 袖ケ浦市議 田中 てるひろ

コンビナート災害

カウントダウン 168です。

市原市で開催された「コンビナート災害を考えるシンポジウム」に参加した。

盛大なシンポジウムで、市原市長を初め、,県議,市議、行政関係者が多く参加していた。

パネラーは専門家4人で、それぞれ20分程度の報告があり、その後聴衆からの質問があった。

全国トップという京葉中部臨海コンビナートを抱えた千葉市、市原市、袖ケ浦市は、3.11以降

市原市のコスモ石油での、タンク火災爆発事故もあり、コンビナート災害を、最大課題として

捉えている。

市民の関心が強いのは、当然である。

パネラーのうち行政担当者の報告は、耳を傾けるようなものではなかった。

パネラーの市議の報告で、改めて認識したことがあった。

コンビナートでの取り扱い物質は、石油、高圧ガス,毒物、劇物等であるが、事業所の数では、

市原市が46で、袖ケ浦市は16である。

石油、高圧ガス、毒物に関しては、俄然市原市が多いが、劇物に至っては、逆に市原市の6倍となっている。

劇物は、毒物よりも致死量となる量が1ランク下、準毒物的扱いになるのだが、県全体では、

毒物の80倍近い取り扱いである。

袖ケ浦市は、県全体の82%の劇物取り扱い量ということだ。

良く耳にする塩素、アンモニア、フッ化水素がそうである。

毒物劇物は、ごくごく少量で人体へ影響する。

東日本震災ほどでなくても、地震等により接合部からの漏れにより、風向きで被災の確率が

増大するということである。

津波、地震を心配することは大切だが、直接の一次災害が起こる規模でなくとも、もっと深刻な

二次災害が起こる確率が高いということである。

今回の3.11を経験して、袖ケ浦市では、

一般の火災爆発以上に、劇物施設に対し、対策を強化、見直しをする必要があると感じた。

市政に市民目線、感覚を!の 袖ケ浦市議 田中 てるひろ

市民条例 [市民目線]


カウントダウン 170です。

自治基本条例策定市民会議の傍聴に出席した。

今回で20回目を数える。

夏から予定されている二回目の対話集会に向けて、昨年纏めた中間報告を

市見解とつき合わせながら、修正している。

回を重ねるごとに、また他機関の意見を聞きながら、市民会議は成長していく。

市民会議の条文に対するコンセプトは、一般市民にわかり易い言葉,文章で

書くということであった。

ところが、条例作りのプロである市見解で、的確な条文用語が示され、

説明を受けるとそんなものかと、納得してしまう。

そのうちやっぱり変だと初心に戻り,譲らないものが出てきた。

今回は、皆の創意が纏まってきた。

自分たちの考えた末の表現を、条例用語に置き換えると、

しっくり来ないと、市民目線になっていた。

そのような発言の中で、「市民条例」という表現があった。

膝をたたいた.これだと。

市民の,市民のための条例、これでなくてはならない。

見た目や的確さよりも、市民に分かりやすく,身近なのが一番だ。

例を示そう。

「市」という用語の定義がある。

市見解では、地方公共団体と同意なので、市の執行機関とするのが適切とある。

市民は、行政を指すときに「市」と呼ぶ。

それが役所の窓口であれ、○○課であれ、農業委員会のような行政委員会であれ。

全て、「市」で通じるのである。

それを市の執行機関と表現したのでは、市民から遠く遠く離れてしまう。

いかに的確で正確な表現だとしても、市民条例ではなくなってしまうと思う。

市民が普通に使っている言葉を、基本的に使いたい。

そんな市民目線で、見直そう。

議会でも議会基本条例がそのうち登場してくるだろう。

このように、市民に直接関係のある条例は、市民目線の視点、表現で

つくりたいものだ。

いっそ名前も自治基本条例ではなく、「まちづくりまつりごと市民条例」としてはどうだろう。

市民の条例だからこそ、中身を理解し、協力しようと思うものだ。

名前は大事だと思う。

市政に市民目線、感覚を!の 袖ケ浦市議 田中 てるひろ

再び卒業式考 [人権]
























































カウントダウン 179です。

前回、卒業式での席順呼名順について、中学校と小学校での感想を述べた。

その後中学校の入学式に列席した。

新入生は、卒業生同様に、男女に分かれて、左右に着席し、男子から呼名を受け、

起立返事を行なっていた。

彼等はつい数日前に、小学校の卒業式で、男女入り混じりで着席、呼名を受けて返事をしていた。

男女共同参画社会基本方の理念の一つである固定的役割分担意識の見直しに該当するとして

混合名簿が提案され採用されている学校もある。

また混合名簿採用による誤った解釈運用に対する反対論があり、従前の分離名簿も存在している。

現実、本市でも小学校と中学校で異なっている。

教育委員会は混合名簿について、男女子同参画基本法の見地から、どのような見解を持っているのだろう。

同様に、男女共同参画推進担当課の見解も、聞きたいものである。

推進には、縦割りでなく横断的取り組みが求められている。

今年度男女共同参画市民意識調査が予算計上されている。

男女共同参画について市民がどこまで理解しているか。

理解の度合いによっては、答えが正反対の結果となる。

調査の年だからやるというのではなく、何のための調査か、意味のある調査か、

男女共同参画会議で十分議論して説明できるようにしてもらいたいと思う。

   市政に市民目線、感覚を!の 袖ケ浦市議 田中 てるひろ

給食の放射能問題 [情報提供と説明責任]

カウントダウン 181です。

給食の放射能問題で、給食センターの方と会合を持った。  

給食に不安・心配を感じておられるお母様数名と同席した。

袖市は、近隣市に先駆けて、測定器を購入した。

それまでは、国や県の測定発表したデーターに基づき、

安全な産地を択び、選択仕入れをしている。

お母様方の心配・不安の解消になればと、数百万円の高性能の測定器である。

朝仕入れた食材(主に野菜)の中で主となる品目2~3を測定している。

調理前の測定なので、時間が限られるためということである。

現在まで全て、不検出の結果である。

4月からの新基準100ベクレルに対し、20ベクレルで判定している。

近隣市からは、袖市のこれら施策について羨望の眼差しが向けられているようである。

お母様方からは、検出限界値1ベクレルでの測定を!、吸入を選択性にして!、測定数値を全て公表して!

問題の多いキノコ類は、食材から外せないか!、事後測定も実施して!等の要望が出された。

放射能問題については、市民の間で、関心・心配に温度差がある。

一方の要望に合わせると、他方から反発がある。

他方の反発を招かないところで一方の要望を出来るだけ適えていくことが求められる。

難しい問題である。

今行なわれている数品目の事前検査に加えて、測定機器の空いてる時間帯に、摂取した1食分を

刻みミキサーにかけての全量事後検査を実施して欲しいと思う。

数品目の事前検査と摂取した1食分の事後検査の二者択一としたら、

私はどちらかというと、全量事後検査を時間をかけて、低い検出限界値で測定するほうが良いと思う。

もちろん最善は、全量事前検査である。

「放射性セシウム137の{成人、経口}での50%致死量は0.1ミリグラム程度」

「青酸カリは{成人、経口}で50%致死量が200ミリグラム程度」

「青酸カリの方が約2000倍ほど毒性が低い」

「1gのCs137のベクレル数は3.2兆である」といわれています。

これらを前提として計算すると、

新基準の100ベクレルを示すセシウム量はいくらかというと、320億分の1グラムとなり、

経口50%致死量相当量の320万分の1となります。

100ベクレルで、経口50%致死量の320万分の1ならば、急毒性ではないと思います。

その日に摂取した1食分が、たとえ分からなくても、急毒性でないので急いで心配することもなく、

むしろ事後の検査で全量検査ですから、出た結果で判断し、万一異常値が出たら、原因品目を

徹底解明し、取り除いていく。

そのほうが徹底できるので,安心が高まると思います。

事前とはいえ、限られた品目であれば、どこか不安は付きまといます。

どうやったら不安解消に近づけられるか、皆で知恵を出しましょう。

そのために、当事者は、測定器の情報、測定従事者の情報、給食賄い作業の情報を提供し、

やろうとしていることについて、わかり易い丁寧な説明をすることです。

協働の始まりです。

市民力の活用時です。市民力の見せ時です。

市政に市民目線、感覚を!の 袖ケ浦市議 田中 てるひろ

ラジオ体操考 [スポーツ]

カウントダウン 182です。

スポーツ推進委員会議の傍聴をした。
スポーツ基本法によると、スポーツ推進委員は、当該市町村におけるスポーツの推進のため、

教育委員会規則の定めるところにより、スポーツの推進のための事業の実施に係る連絡調整

並びに住民に対するスポーツの実技の指導その他スポーツに関する指導及び助言を行うものとする。

とある。

ここでスポーツとは何か。

基本法の前文によると、「スポーツは、心身の健全な発達、健康及び体力の保持増進、

精神的な充足感の獲得、自律心その他の精神の涵(かん)養等のために個人又は集団で

行われる運動競技その他の身体活動」とある。

通常は、運動競技を主に指すが、その他の身体活動に注目したい。

数多くの運動競技があり、さらにニュースポーツと呼ばれているものまで目白押しだ。

競技ゆえに、勝敗を競うことが普通だが、国民的観点から言えば、より幅広い視点で

取り組むべきと思う。

ましてや公としての国や自治体が深く関与するならばなおさらである。

健常者については、自助・共助で勧めることで良く、公の役割は、その仕組みを整備する

位でいいと思う。

高齢者や障害をお持ちのいわゆる身体的弱者の方には、積極的に公が、関わるべきである。

スポーツを通して、身体的弱者の健康及び体力の保持増進、精神的な充足感の獲得を図ることにより、

また集団ゆえのコミュニケーションがなされることで、孤立化や引きこもりが、減少すれば個人のみならず、

社会にとって有用であり、基本法を越える大きな目的成果となると思う。

そこで提唱するのが、ラジオ体操である。

それも、自治会よりさらに小さなコミュニティーでの集団的身体活動である。

15分以内で集まることができるミニ広場で、老若男女が共に参加でき、持続できるスポーツとして

ラジオ体操を普及実践させてはどうであろう。

数人の少人数で始め、口コミで広がる。
その輪が、市内いたるところに分散して生まれたら、市民の和に大きく貢献すると思われる。

一つの文化になるだろう。

これは、目新しいことでなく、たぶん全国各地で行なわれていると思う。

行政の縦割りを越えて、教育部,福祉部、市民健康部で横断的に取り組んで欲しいところである。
櫂より始めよで、明朝スタートだ。
市政に市民目線、感覚を!の 袖ケ浦市議 田中 てるひろ

残土不法埋立について [説明責任]

カウントダウン 138です。

きょうは、朝から雨、温暖化の影響か、天候不順だ。

先日の野里の残土不法埋立場所が気になる。

撤去計画を、業者が作成し市に届けることになっているが、それまで待っていて問題ないか。

心配を市に尋ねると、担当課は、排水管が、適切に設置されているので

集中豪雨に対応でき、心配ないという。

残土の盛土は、押し固められた訳ではないので、土石流となって流れるれることはないのか。

想定外の雨が降り、万一土石流が発生して、低地の民家に被害をもたらすことはないのか。

今回の件は、地元の市民数名の方による、市への、市長への通報が、発端だと聞いている。

行政として、周辺の方々に、説明をする必要があると思う。

周辺の方は、心配されていると思います。

不幸にして、万一の事態が発生しても、市として、担当者として責任は取れないし、取らないと思う。

そのためにも、予め関係者の方々の、理解を了解を得ることが、とても大切なことと思う。

原発事故をきっかけとして、政治への不信が高まった。なかなか信頼回復はできないだろう。

十分な情報提供と丁寧な説明責任が行政と市民の信頼をつなぐ唯一の手段と思う。

もし、説明の予定、又は既に説明されていれば、老婆心とご理解の上、お許しください。

       市政に市民目線、感覚を!の 袖ケ浦市議 田中 てるひろ
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