分別と行動

久しぶりの、カウントダウン 8です。
先日、中学生の子どもの母親が、今回の原発事故による放射能について、子どものことを非常に心配して、
一人で何ができるかと相談に来られました。
国、電力会社、メディアに対する、不信が一杯で、インターネットから多くの情報をえて、袖ケ浦で何かしなければと必死の様相でした。袖ヶ浦市を含む上総地区で進められている放射能廃棄物の埋立搬入中止署名運動を紹介すると、すぐにネット上で展開されました。すぐに多数のアクセスがあり、ネット時代を目の当たりにしました。
母の力というか、ネット新人類というか、感動すら覚えました。
別の会合で、同じく署名運動を紹介しました。そこでの対応は、「搬入中止というが、それらの廃棄物は、どこへ持っていけばいいのだろう。」、「自分のとこさえ良ければというのは、ねえ」ということで、結論は出ず、「色々勉強してからにしましょう。」となった。
端的に言えば、後先考えずに、差し迫った命の安全に向けてまず動く人と、自分のとこで反対だけして、ことが解決するのかと考える人ということになる。
人生、年を経ると、経験が禍し行動に対して躊躇するようになる。決して熟慮の結果ではないのであるが、何もしないで終ることになる。自分もたぶんにその傾向がある。
1970年代の学園闘争以来、若者が大人しくなった、デモらしいデモが姿を消したと嘆く中高年がいる。
かつて三井三池闘争などの労働闘争も激しかった。
メディアで報じられている海外での大規模なデモを見て、日本人は大人しくなったという。
豊かになったせいか、連帯感がなくなったせいか良く分からない。詮索しても、仕方ない。、
残された時間、一端の分別もどきにおさらばして、動いてみるのもも、良いように思えるのである。
市政に市民目線、感覚を!の 普通の一市民   田中 てるひろ
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。